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横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)3008号 判決 1985年3月29日

原告

大鹿秀秋

右訴訟代理人

水口敝

亀井とも子

山崎浩司

若山資雄

太田勇

被告

飯田邦光

主文

一  被告は、原告に対して、金三五万円及びこれに対する昭和五七年一月三一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求の原因1(原・被告の昭和二〇年四月当時の地位など)の事実及び同2(一)、(二)の事実、同3の事実のうち、「四四飛大、屋良の友の会」が第四四飛行場大隊のもと隊員及びその遺族により構成され、原告が会長をし、被告が設立の中心人物であつたことは、当事者間に争いがない。

二本件記述が、戦場における指揮官の資質、能力について、読者に悪印象を与えるものであることは、その記載自体から明らかであり、これを載せた前記の「沖縄戦記」が単行本として出版されたことにより、原告の名誉は著しく損われたものと認められる。

三1  抗弁(違法性阻去ママ)事実のうち、昭和二〇年四月当時、第四四飛行場大隊が、大隊長野崎大尉を中心とする部隊本部(約八〇名)、岩崎中尉が率いる補給中隊(約一二〇名)及び原告が率いる警備中隊(約一九〇名)の三部隊、合計約三九〇名で構成されていたことは、当事者間に争いがない。

2  そこで、抗弁(違法性阻却)事実のうち、本件記述が真実であるか否かの点について判断する。

(変装について)

(一)  原告が恩納岳頂上に現れたとき「コゲ茶色のオーバー、中折帽子、ゴム長靴」を着用していた旨の記述について、被告本人は、そのとき、原告がオーバーを着て、中折帽子をかぶつているのを見た旨の供述をするが、<証拠>に照らせば、右供述はたやすく信用できず、他に前記記述が真実であると認めるに足りる証拠はない。

(部下の放棄について)

(二) 原告が石川橋付近で部下に対し分散して恩納岳に行けと指示した点及び原告が部下より先に恩納岳頂上に到着した点については、当事者間に争いがない。

(三) <証拠>を総合すると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

第四四飛行場大隊は、昭和二〇年三月ころ、沖縄本島中飛行場の管理・整備をその任務としていた。同年四月一日、アメリカ軍が沖縄本島西海岸の嘉手納沿岸地帯に上陸してきたため、同月三日、同大隊は、撤退先である倉敷陣地においてアメリカ軍と戦闘した上、同日の夜、北方にある恩納岳に向けて撤退を開始した(夜出発したのは、夜の方がアメリカ軍に発見される危険が少ないとの考えによるものである。)。その隊伍の先頭は先遣隊であり、その後に部隊本部、補給中隊、警備中隊がこの順で続いた。

ところが、同日夜半ごろ、倉敷陣地と恩納岳の中間あたりにある某部落において、同大隊は侵入していたアメリカ軍と遭遇し、そのため、被告及び証人新岡勇悦らは、所属していた部隊本部からはぐれ、たまたま一緒になつた約二〇名の同大隊兵士により一団を構成して、独自に恩納岳を目指して進むことになつた。

一方、原告は、倉敷陣地出発当初から警備中隊を指揮して補給中隊の後を進んでいたが、同じころ先遣隊及び部隊本部とはぐれたことに気付き、やむなく補給中隊及び警備中隊を指揮して独自に恩納岳を目指した。ところが、右両中隊が恩納岳に至る経路と目指していた石川岳(倉敷陣地の北方に石川岳があり、その北方に屋嘉岳をはさんで恩納岳がある。)にもたどりつかない地点である石川橋の手前で夜が明けてしまつたため、原告は、総勢約二〇〇名にのぼる両中隊の構成員に対し、同所からは分散してそれぞれ恩納岳に向えと指示した。まもなくアメリカ軍の観測機が石川橋付近にいる両中隊の上空を飛行し、それに続いてアメリカ軍の激しい砲撃が始まつたため、両中隊の構成員は、原告も含め、命からがらという状態で川を渡り、対岸に身を隠した。砲撃が終つたとき、原告のそばにいたのは秋本上等兵のみであつたので、原告は、他の者は先の砲撃でバラバラになつたものと判断し、秋本上等兵と二人で石川岳を登り、恩納岳を目指した。原告は、恩納岳へ向う途中他の部下に全く会わなかつたので、自己の進み具合は他の者に遅れているものと考え、急いで恩納岳に向つた。

一方、被告を含む前記の約二〇名は、証人新岡勇悦の指揮下に恩納岳を目指して進んでいたが、石川岳山中で補給中隊長の岩橋中尉とその連れの兵士一名に出合つたため、岩橋中尉の指揮下に入つて恩納岳を目指すことになつた。岩橋中尉は右兵士以外の部下は連れていなかつた。岩橋中尉はまもなくアメリカ軍と遭遇した際に銃撃されて戦死し、被告らは再び証人新岡勇悦の指揮下に恩納岳へ向けて進むことになつた。

(四)  右(三)の事実に照らせば、右(二)の事実から原告が石川橋付近で部下を放棄したと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

もつとも、被告は、原告の部下らが恩納岳に到着したときには戦闘集団としての実質を失つていたと見ることができるから、これによれば原告が部下を放棄したと判断することができるような趣旨の主張をしている。しかし、原告の部下らが恩納岳に到着したとき戦闘集団としての実質を失つていたと認めるに足りる証拠はない。また、指揮官が部下を放棄することと部下が戦闘集団としての実質を失うことは常に因果関係があるとはいえず、指揮官を失つた結果部下が戦闘集団としての実質を失うことがあるとしても、戦闘集団としての実質を失うに至る原因は指揮官を失うことのみに限られない。

(五)  よつて、本件記述を真実と認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、抗弁(違法性阻却)は理由がない。

四そうすると、被告は名誉毀損により原告が蒙つた損害を賠償すべきであるが、その精神的損害に対する慰謝料としては、三五万円が相当である。

なお、原告は慰謝料の支払にあわせて謝罪文の交付も求めているが、諸般の事情を総合すれば、原告に対する名誉回復の措置としては右慰謝料の支払をもつて足り、それに付加してなお謝罪文の交付を命ずる必要はないものというべきである。

五よつて、原告の請求は、三五万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五七年一月三一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、これを認容し、その余は失当であるから、これを棄却して、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条但書、第八九条の各規定を適用し、仮執行の宣言をすることは相当でないと認められるのでその申立を却下して、主文のとおり判決する。

(三井哲夫 曽我大三郎 加藤美枝子)

別紙  謝罪文<省略>

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